「ユニバース」以前の世界:シリーズ映画の伝統
シネマティック・ユニバースという概念が浸透する以前、ハリウッドにおけるシリーズ作品は、特定の主人公や物語の続きを直線的に描く形式が主流でした。『ハリー・ポッター』シリーズのように原作の物語を追うものや、『007』シリーズのように主人公が新たな事件に挑む episodic な形式がその代表例です。これらの作品は、それぞれが独立したフランチャイズとして確立されており、他の映画の世界と交わることは基本的にありませんでした。
もちろん、複数のキャラクターが一堂に会するクロスオーバーというアイデア自体は、特にアメリカン・コミックスの世界では何十年も前から一般的な手法でした。しかし、映画の世界では、異なるキャラクターやフランチャイズの権利関係が複雑に絡み合うため、その実現は極めて困難とされてきました。観客も、一本の映画はそれ自体で完結しているか、あるいは直接的な続編へと続くものと認識しており、異なる映画同士が同じ世界を共有するという発想は一般的ではありませんでした。
革命の始まり:マーベル・シネマティック・ユニバース(MCU)の誕生
その常識を覆したのが、2008年に公開された『アイアンマン』です。映画本編の評価もさることながら、観客を真に驚かせたのはエンドクレジット後のポストクレジットシーンでした。サミュエル・L・ジャクソン演じるニック・フューリーが登場し、「アベンジャーズ計画」について言及した瞬間、それは単なるヒーロー映画ではなく、より大きな物語の一部であることが示唆されたのです。
マーベル・スタジオは、プロデューサーのケヴィン・ファイギの指揮のもと、周到な計画を実行に移します。『アイアンマン』に続き、『インクレディブル・ハルク』『マイティ・ソー』『キャプテン・アメリカ/ザ・ファースト・アベンジャー』といった単独作品を次々と公開。それぞれの作品でヒーローたちの出自を描き、観客にキャラクターへの愛着を育ませた上で、2012年、満を持して『アベンジャーズ』を公開しました。スクリーン上でヒーローたちが集結する光景は、映画史に残るカタルシスを生み出し、シネマティック・ユニバースというビジネスモデルの成功を決定づけました。
MCUの成功に追随したスタジオたち
MCUの前例のない成功は、他のハリウッドスタジオを強く刺激しました。ワーナー・ブラザースは、長年のライバルであるDCコミックスのキャラクターを擁し、DCエクステンデッド・ユニバース(DCEU)を始動。2013年の『マン・オブ・スティール』を皮切りに、2016年には早くも『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』で二大ヒーローを激突させましたが、キャラクターの掘り下げが不十分なまま性急にクロスオーバーを進めたという評価も聞かれました。
アメコミ以外のジャンルでもユニバース構築の試みは広まりました。レジェンダリー・ピクチャーズは『GODZILLA ゴジラ』(2014年)と『キングコング:髑髏島の巨神』(2017年)を同じ世界観に置き、「モンスター・ヴァース」を構築。巨大怪獣たちの激突という分かりやすいコンセプトでファンを獲得しました。一方で、ユニバーサル・ピクチャーズが往年のモンスター映画のキャラクターを集結させようとした「ダーク・ユニバース」は、トム・クルーズ主演の『ザ・マミー/呪われた砂漠の王女』(2017年)が興行的に伸び悩み、計画は頓挫するなど、全ての試みが成功したわけではありません。
ユニバース化がもたらした光と影
シネマティック・ユニバースという手法は、映画業界に多くの恩恵をもたらしました。スタジオにとっては、複数のフランチャイズを連動させることで安定した興行収入を見込めるビジネスモデルとなり、ファンにとっては、好きなキャラクターたちが作品の垣根を越えて共演する夢のような体験が得られます。各作品で断片的に提示された伏線が、後の作品で回収されるといった作りは、ファンコミュニティを活性化させ、考察文化を育みました。
しかしその一方で、負の側面も指摘されるようになります。物語が複雑化するにつれて、過去作を全て観ていないと楽しめないという「参入障壁」が生まれ、新規の観客を取り込みにくくなりました。また、全体の統一感を重視するあまり、監督個人の作家性が発揮しにくいという制約や、同様のフォーマットの作品が量産されることによる観客の「ユニバース疲れ」といった現象も顕在化し始めています。
ユニバースの概念を超えて:新たな物語の形
こうした状況の中、ユニバースに属さない単独作品が大きな成功を収めるケースも現れます。2019年の『ジョーカー』は、既存のDCEUとは一切関係ない世界で、一人の男が悪のカリスマに変貌するまでを徹底的に描き、ヴェネツィア国際映画祭で金獅子賞を受賞。2022年の『THE BATMAN』もまた、独自のダークな世界観を構築し、批評的・興行的に大成功を収めました。これらの作品は、ユニバース戦略とは異なるアプローチの有効性を示しています。
また、ユニバースという概念自体も進化を続けています。『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』では「マルチバース(多元宇宙)」が本格的に導入され、過去の別シリーズのキャラクターが登場するという離れ業をやってのけました。これは、ユニバースの枠組みをさらに拡張し、物語の可能性を無限に広げる試みと言えるでしょう。シネマティック・ユニバースは、誕生から十数年を経て、今もなお形を変えながら映画の語り口を模索し続けているのです。







